2004年10月04日

あちこちで話題の、スーパーリアルな油絵
これを描いている吉田貴幸氏は今は亡き武蔵野美術大学短期学部卒で、
今は漁師をしている、という変わった経歴の持ち主。
今時珍しい(?)スーパーリアリズム。でも20号とかで意外と画面が小さかったり。
 
てことでスーパーリアリズムについて。

 スーパーリアリズムと言われる写実的な描き方は
1960年代後半にアメリカで生まれ、1970年代には一般的になったもの。
フォトリアリズム等とも言われるように極めて冷静な眼、
つまり「カメラ的」に物を観察し、主観や感情を排除した上で、
観察したものを画面に表現していく手法であり、
代表的な作家にはリチャード・エステスや、ロバート・ベクトルが挙げられます。
※R・エステス等が写真を見ながら製作していたので、
フォトリアリズムと言われるようになったとも
 

このスーパーリアリズム「リアルにすれば良い」 「リアルなものは良いものだ」なんて、
至極アメリカ的独善思想で始まった絵画運動だったからか、
一般の人間からも、批評家からも大して好かれることがありませんでした。
 
光に、そして空気に色を感じ、表現していった印象派とは対照的です。
※印象派も最初は受けが良くなく、批評家の「こんなの印象でしかない」という
揶揄的な批評を、そのまま絵画運動の名前にしたのは有名。
モネ等を中心に、今では広く一般人(特にオバちゃん)にまで好まれています。

 さて、客観的ニュートラル、というのは、裏を返せば無思想ですが、
逆に絵画というのは宗教画が描かれていた頃からずっと思想の表現手段だったので、
批評家連中には無思想という思想は受け入れられなかったのではないでしょうか。
また一般の人にも「確かに凄いけれど、写真でいいじゃん」と扱われてしまったり。

そして、「カメラ的な眼」、というのも没個性と表裏一体。
例えば絵画に詳しくない人が見ても、同じ印象派モネスーラの違いは一目瞭然。
しかし、R・エステスR・コッティンガムの違いはなかなか分からないと思います。
確かに表面的な技法の問題もありますが、(モネとスーラは技法が少し違う)
それ以上に、物を観察する眼や主観というものは、絵に滲み出てくるもの。
誰が描いても、主観や感情を捨て去った絵、というのはどうしても魅力がないのです。

 なんてつらつらと書きましたが、この吉田貴幸氏の絵、
私観ですが、人物は彼自身何枚も模写をしている、藤井勉
風景画のモチーフ選びや雰囲気は和製ワイエスなんて感じがします。
 
あと、豹柄の服って…

まあいいや、頑張って下さい。

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